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by kenji55000
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遠野~それはこころの故郷(ふるさと)~part2

おまちかね、最終日(5/5)飛ばなかった(飛べなかった)理由書きます。

最終日は朝の時点で5/3、5/4、5/5のなかで一番タスクの成立の可能性が高い日でした。ぼくは、けっこうやる気で、テイクオフに着くやいなや、黙々とセットアップはじめました。そして、速攻レイダウン(笑)。

風の当たらないところ(体力温存!ぼくはフライトスーツ着ない主義だから!)で、今日の展開を4パターンくらい考え、そのぞれの戦術を練っておきました。
①GOAL20% 
 多分、大門さんが引っ張り、その次をシード集団が追いかける
 僕は松田さんをマークしながらシード集団の終わりにくっついていく感じで飛べばよい
 (これは前日の朝ごはんのとき、外村さんに教えてもらった)
②GOAL数人
 ①とほぼ同じ作戦。たぶんGOOLするのは、TASK1で成績芳しくなった人(ABSの大門さん含む。ぼくはGOALしなくてもそこそこ飛べばよい
③GOALゼロ 距離競争
 浮きには自信ある。ヘッドはほとんどつかわないずだから、普通にとべばそこそこの順位で飛べるはず
④ミニマム超え競争
 安全にぶっとべはよい。  

でもテイクオフの風が10m/sを超えてから、だんだん気持ちがなえてきました。気象情報でも1500mでは10m/s以上の風が吹くということでかなりやる気なかったです。テスクが発表され、ガムテにタスク書込み、GPSに入力、地図でコース確認したとけど、もう気持ちは上の空。ほとんど飛ぶ気はなかったです。ゲートオープン直後、5人くらい飛び、桜井君(チャッキー)しか残れなかった。面子をみても、みなしっかりとしたソアリングテクニックをもった方なので、今日はできても20%のひとしかミニマム超えないだろう、それなら飛ばなくても、シングルはキープできるかもしれない。そんな気持ちでした。いま冷静に考えると、西向きのエリアでサーマルが遅く、午後になって雲がしっかりしてきた。そこまでそのときは、考えられませんでした。

しばらく、誰も出なく、”このまま行ってほしい”と思ってました。

でも、世の中そんな甘くなく、鈴木博司選手が13時過ぎにテイクオフしたのを、かわぎりにみんな続々とテイクオフ。ぼくもレイダウンから、もとの状態に戻して、一応いつでもいけるポーズはとってましたが、心の中ではやめようと決めてました。あのとき、あの場所でいきなりブレイクダウンを始めたら、かなりインパクトあったかもしれなかったけど、そこまでやる自信なかったです。(そういう作戦もありますね!)

僕がどうしてやめたかというと以下のように考えたからです。

①まず、僕のテクニックで安全がどうか?
(初日、とられて牧草地につっこみそうになったので、あんな思いはもうコリゴリだと思ってました。)
原因はA僕のコントロールミス(牧草地抜ける前にリッジ帯に行こうとして左にターンいれた)とBテイクオフでじっくり様子をみずに出て、悪いタイミングにはまったことの2点のようでした。

②飛んで楽しいか?楽しそうに思えない。

③フリーフライトなら飛ぶか?飛ばない。

④僕は丹沢で結婚式の2ヶ月前!に鎖骨折った前科あります。あの時も風が強くなる予報で飛んで楽しいかは微妙でしたが、守る成績もなかったけど、みんな飛んでるし、飛ばないと臆病者に思われそうでイヤでした。結果LDが一番荒れてるときに、タイミングがあって、アプローチ中に民家の横のローターに入ってしまい、フレアターンで民家の屋根ぎりぎり(多分つまさきから50CM以内以内の自信アリ)でパス、その後すぐ引き込んで、柿の木に突っ込めばよかったのですが”セールが破れそう、枝が痛そうだな”と思ってるうちに翼端からスリップして、民家と柿の木畑の間の休耕田に右翼から落ち、気絶し、気がついての第一声は
「アップライト折れてない?」
でした(今はもう笑い話ですみます。右アップライト折れてました)
その後、地元のフライヤーで外科医の中村さんに診てもらって、”鎖骨折れてるっ”て言われてから、急に痛くなってきました。その後、2週間近く秦野市に軟禁されました。結局、怪我して一番つらかったのは自分だったこと思い出しました。

⑤僕はそのとき2位だった。どっちかっていうと飛んでて無茶しないほうです。でも、優勝かかってたら、この条件で点差まくろうとして”送電線くぐったり”とか、”民家に突っ込んだり”とか自分の想像以上の変なことしちゃいそう(暴走!)で、それも怖かったです。

とうことで、自分自身でよーく考えやめました。
僕のテクニックでは、”得るものより失うもののほうが大きそう”だったから。最後に少し風おちて、ゲートクローズの15分前にぶっ飛びでいいからと思って並びましたが、風がまた吹いてきて、気持ちが焦っていたし、アブネーナと思ってやめました。クローズ10分前からブレイクダウンに入りました。

んで、そのときの笑顔で撤退写真がこれです。
(小杉さん写真撮影ありがとう!)

山から下りると、自分が想像したより、みんな飛んでいてけっこう点がつき凹みま
した。臆病者と言われそうで、不安でした。でも、僕はアマチュアパイロット、無事に帰って、娘と妻に会いたかったし、ぼくのテクニックでは安全に飛べない日だったと割り切りました。

閉会式けっこう悔しかった。
うおーおれも表彰台のりてー。
ていうか次の大会でのりテー。
そんな気持ちで遠野にGood byeしました!
ありがとう。遠野。

今回の大会では、結果に結びつかなかったけど、とても自信がついた。
同期の元樹、マツに隠れて月見草?と呼ばれた増田の時代がくるかもしれませんよ
(笑)

会社の昼休み中キーボードを一心腐乱にたたいた増田でした!

P.S.会社の広報部みたいなところに電話して、”サポートしてくれっ”て言ったら
”個人競技は無理!”って即答されました。キビシー!
遠野~それはこころの故郷(ふるさと)~part2_a0012449_654142.jpg

by kenji55000 | 2005-05-12 06:53 | hanggliding